サイズ*
高さ:約45~46センチ
◇底に「湯田 定雄」と記載あり
工人 小林 定雄 氏の作品と思われます。
【小林定雄 説明】
大正期に小林辻右衛門氏が佐藤丑蔵工人を湯田に招き伝統こけしの産地となる。
大正8年、遠刈田の工人佐藤丑蔵氏を講師として湯本に小林工場を開き、丑蔵、小林善作、小林定雄と受けついで今日に至る。
胴の太さの割に頭が大きく華麗であることが特徴。
頭を髷型にした『およねこけし』もそのかわいらしさに特徴を持つ。
〔人物〕 昭和8年1月30日、岩手県和賀郡湯田町の鉱員神成三五郎・サダの長男に生まれた。本名は定夫、こけし工人としては定雄を名乗る。昭和23年3月新制中学校を卒業すると横黒線(現在の北上線)大荒沢駅前の大荒沢郵便局に勤務した。昭和31年小林辻右衛門長男光一の長女光子(てるこ)と結婚して婿養子となった。小林善作は辻右衛門の娘愛と結婚して辻右衛門の婿養子となっていたから、善作は定雄の義理の叔父にあたる。昭和34年、長男元が生まれた。昭和37年に大荒沢郵便局はダム湖(錦秋湖)に沈むことになり、陸中川尻駅(現在の「ほっとゆだ駅」)前の川尻郵便局に転勤した。昭和40年秋頃から、こけし製作に興味を持って、善作の木地に描彩などを試みたりした。昭和41年11月より郵便局勤務の傍ら、木地の修業を本格的に始め、遠刈田の佐藤丑蔵、佐藤文男から指導を受けた。こけしの製作は昭和42年初めより開始した。昭和46年には藤戸一栄が弟子となり、僅かな期間であったがこけしを製作した。昭和50年に湯田スキー場近くの湯之沢に移った。昭和52年には長男の元が木地の修業を始めた。妻光子もこけしを作ったことがある。また長男元の妻女順子もこけしを作る。
その後も西和賀町町湯之沢の自宅にある仕事場で、こけし製作を続けた。
令和2年6月3日没、88歳。
状態は画像の通りです。
古いお品ですので汚れや小傷等ございます。
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インテリア・住まい・小物->インテリア小物->置物